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双葉の歌姫とフォーインラブの販売終了について

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発言は誰かを傷つける - 2018年04月21日

 楽しんでいる姿を見せれば苦労している人を追い込むし,喜んでいる姿を見せれば今悲しんでいる人を孤立させ,誰かを思うことは別の誰かにとって鬱陶しくうつりますし,苦しんでいる状態を見せれば多くの人の気を揉んでしまう。
 嫌いなものを言えば当然それが好きな人はムッとするだろうけど,好きなものを言ったところで,好きなものが好きな人同士集まれることなんてあんまりないし,前に言ったとおり楽しんでることそのものに文句を言ってくる人もいれば,その好きなものに届かないことに自覚的な人が絶望することだってある。

 そういう「何かを言えば誰かの反感を必ず買う」という状況にあって,何をやってもリスキーな現代,あるいは,それを防ぐためにブログという自分だけの場に沈んでいくと思うのですが,感情の共有を強要させている以上もう何でも一緒なんじゃないかな,と思うと,自分の日記帳に自分の言葉を書くことすら出来んわけです。
 そういった爆縮の先に,「のんきにインターネットで発言しやがって」という,インターネットで発言できることそのものへの怒りが沸いてくるのかなと思うと,なかなか寂しいことじゃないですか。もしかしたら,「おれは言葉が書けないのに,言葉を書いている」ということに怒る人もいるかもしれない。僕なんかは言葉を書くのがとにかくへたくそなので,言葉を書くことができる人への劣等感にさいなまれています。

 仮に自分しか見ない日記帳だとしても,いつか自分が見てしまうとすれば,自分自身に向けた言葉すら書くのは危うい。そうなっていくと,もういよいよ人としてやっていくのは終わりなのかもしれない,と思います。たとえば今年に入ってからずっとメンタルがやばくて,ゲームだろうが本だろうがテレビだろうが娯楽の一切を消化出来ずに本当に無為に毎日を過ごしているのですが,そういう状況にあって娯楽をたしなむにはまず余裕と体力が必要みたいな気持ちになってくるとどうですか?

双葉の歌姫とフォーインラブについて[2] - 2018年03月11日

 事前の告知どおり販売が終了しましたので,双葉の歌姫とフォーインラブの販売が終了しました。ここしばらく,販売本数0という月もあったのですが,最終月に限ってそれぞれ10本近く売れました。別に駆け込み需要を狙ったつもりはなかったのですがいっぱい売れたのでちょっとうれしかったです。みなさんありがとうございます。

 買ってくれた方もいる以上,販売終了して即公開とかはいろいろ世情もあるのでもうしばらくお待ちください。

インスタント天国 - 2018年02月28日

 まず最初に,いろいろ詮索されているSCE2の製作が凍結した理由は,コミュニティの混乱がぼくらの管理可能な閾値を超えたからです。ぼくらの内々の狭い領分であれば看過できる問題でしたが,もはや関係者各位,目に付くものを無差別に攻撃をし始めている人間がいる状態にあって,個人でどうにかできる範疇を超えています。現状のままではとてもじゃないけれどこの作品を何とかしようという心境に至れません。得られるものがないのに,お金も時間もかかりすぎています。

 たとえば,目立った難点としては以下の方に1年以上にもわたる長期の間,批難行為を続けられています。まったく知らない方なので,なぜこんなにも攻撃的なのかさっぱりわからず,大変困っています。
https://twitter.com/intent/user?user_id=4824995978

 この方に限りませんが,もともと個人が趣味で作っているものなので,その根底は関わってくれた人や遊んでくれた人が楽しんでくれれば十分,程度の気持ちでしかありませんでした。当然,趣味ですので,合う合わないがあるのは当然です。今にして思えば,価値観の大きな相違によって,どこかの誰かを不快にさせてしまう事もきっとあったと思います。
 不快感を覚えた方には申し訳ありませんが,人を不快にしようとする創作の何が楽しいのか,ぼくにわからない程度には楽しんで作っていたつもりです。しかしその人にとっては人生を賭けてでも叩き潰さねばならない相手として認知されてしまったようなのです。対話は出来ませんでしたから,彼の考えはわかりません。しばしばそういった攻撃的な攻撃はいただきます。

 だからといって趣味に携わる人々に攻撃して回ったり,その事を追求すればまるで自分が言った事を忘れて被害者面するのに付き合っていられません。とはいえ放置していればコミュニティの瑕疵は無限に増長します。ぼく自身意味不明な暴言を吐き散らかされていたらめちゃくちゃ腹が立ちますし,何よりこの作品を好きでいてくれる人がそういった無自覚な悪意に触れて傷つくのがとても悲しいです。

 本作に関わっている事を発端に,その一挙手一投足を延々注目され,発言のひとつひとつを根拠も論旨もないめちゃくちゃな暴言で攻撃され続けていることに関して,最初こそ笑って見ていられますが,それが半年,1年と続いた時に,その異常性の前にうんざりしてしまっても仕方ないのではないでしょうか。
 何より今後も同じものを作り続けていくうち,関わった方々すべてにそういった攻撃が無差別に行くと思うと,もはやまともな神経でこの作品に取り組むことは出来ません。本当の意味で個人であればどうにでもなったかもしれませんが,ぼく一人では,情けないことに自分の身を何とかすることだけで精一杯です。誰かが被る被害をぼく一人ではケアしきれないというのが実情です。

 これについて誤解しないでいただきたいのですが,作品を批判するな,常に誉めそやせ,などとめまいがするような自堕落な言動をしているわけではありません。攻撃的な態度をとる人々の多くは「都合の悪い意見を無視している」と仰りますが,では,都合の悪い意見とは何なのでしょうか。

 作品の表現の不足は当然ぼくの落ち度です。能力や時間の不足から至らない部分も多くあります。ですがそんなものに再現なく付き合っていたら作品はいつまでたっても公開できませんから,適当なところで見切りをつけて作品はいつかリリースされるのです。その中には開発中には見逃してしまった問題も多くあることでしょう。そういったものが踏み倒されて,不確かな状態で公開されていること自体に義憤を抱く人もおられるでしょう。今回のことはそういう事象の極限に位置するものだと思います。

 作品を公開しはじめてからわずかばかりの年月が経ちますが,その短い間にもいろいろなお言葉をいただきました。中には手厳しい意見や,ずばり作品の欠点を言い表されるお言葉も数多くありましたが,本作,あるいは次の作品を良くするために自らが受け止めるべき批判としてひとつひとつ大切に読ませていただきましたし,直接いただいた声は可能な限りメールなどにもお返事を書かせていただいております。そして作品にいただいた声は,現行のバージョンや将来公開されるであろう別の作品に対し多くのフィードバックを行ってきました。
 そういった中で,「ぼくが耳にすると都合が悪いので,聞き入れられない意見」というのは,言い切ってしまえば,存在しません。作品に向けられたすべての言葉はぼくが聞き入れるべき評価で,理想的ではありますが現実的ではないのでどうにも出来なかったご意見などはありますが,それらも含めて作品の評判ですので,もみ消したりなどしませんし,聞く耳を持たないということはありません。そういった言葉がぼくに直接向けられた場合も,ちゃんと返答させていただいております。

 あいまいな言い方では伝わらないのでこの際はっきり伝えさせていただきますが,ぼくらが無視しているのは都合が悪い意見ではなく,素行が悪い人です。説明しなければわからないことだとは思いませんが,リリースした作品は,数十や数百,場合によっては数千,数万というユーザーに遊ばれる事があります(これは誇張ではなく,ぼくクラスのしょぼいクリエイターでも,多くの創作の中で,数千人,万に届く人数に遊ばれています)。
 その中において,遊んでくれた人たちは全員ありふれた1プレイヤーでしかありません。遊び方の優劣,貴賎など全く関係なく,ただゲームを遊んでくれた人を区別することなんて出来るはずがありません。たかがゲームに入れ込んでる程度で「ゲームをめっちゃやりこんで詳しいので特別視してくれ」とか,ちょっと口が悪くて「このゲームに関してめっちゃ批判的なのでVIP待遇してくれ」なんてわざわざ作者に言う人はいませんよね(この辺もなんか勘違いされちゃったみたいですが,つくづく日本語は難しい)。
 友達づきあいと似ていると思います。わざわざ「俺たち友達だからな!」とか確認するようなやつにロクな奴はいません。友達づきあいに損得勘定はあまり割り込まないと言われますが現金に換算していないだけで確実に損得の計算は弾かれます。最近特定の知り合いからあんまり声をかけられなくなったことはありませんか?

 それもわからず自分を特別扱いして欲しい人からの勘違いしたアピールに付き合いきれません。無茶苦茶です。言っている言葉の意味すら考えていないのかもしれません。だからあんなにも粗野で人を傷つける言葉を平気で並べたてることが出来る。そのことにぼくが1回でも文句を言おうものなら,作者が個人の意見にケチをつけてきたぞ,と鬼の首を取ったように叩き続けるわけです。なぜブロックされているのか理解していない。彼らの思想は「有名人に高圧的なリプライを送り,ブロックされたら自慢する」小学生と同程度でしかありません。特別にブロックしたりかかわりあいになりたくないのでミュートしたりさせていただいていますが,いかがですか? 自尊心は満たされたでしょうか?

 創作物に対峙する以前の問題で,言葉の先には創作者本人や,他にも遊んでくれた人たちがいる。創作者は泥や霧で出来ているわけではないし,プレイヤーにいたっては何もかも同じ人間ですから,人間にぶつけてブチギレられる言葉は誰にぶつけようがブチギレられて当然です。ぼくだってキレます。当然でしょう。頭がおかしい,キチガイ,精神異常者,といった言葉でしか作品を評論できないような語彙の方々が,無自覚にどれだけの被害を周囲に与えていることかと胸が痛みます。
 そういうわけで僕だってムカついたらムカつくって言いますし,いちいちそんなムカついたぐらいで相手してんじゃねえとプレイヤーの皆さんが言うのであれば,そのまま言葉をお返ししたい。ちょっと作品にムカついたぐらいで作者を論ずべきではない。作品は作者の性質の一部分は確かに映すかもしれませんが,作品に作者の主張や倫理観がすべて出ていると思ったら大恥かきます。

 こういう話について,どっちが先に手を出したみたいな話は水掛け論ですが,少なくとも何も言われてないのにいきなりキレる作者はいないでしょう。いるかもしれないな。まあいいです。些事でしょう(これは都合の悪い意見を無視している例です)。

 繰り返しますが,われわれは本質的に,個人の趣味でやっている活動でしかなく,さらにぼくらのようなものは所詮木っ端クリエイターですので,多くの日の目を浴びている作家さんの抱える苦しみとは比較しようもないほど平易な苦しみの中にいるのはわかりきっていますが,しかし辛苦というのは他人と比較するものではなく個人の苦痛ですし,限りあるリソースの中で創作したり心を痛めたりしているので,どっちにせよ耐え切れるはずもありません。どんなに好意を抱いてくれる人の声があっても,心無い人間一人が刃物を振り回せば人は簡単に死にます。これはあまりにも端的な事実です。死んでしまった人は何の活動もできません。

 言うまでもなく,個人の自由な発露とは言え,そこには表現のリスクは付きまといます。自由と言うのは何をしてもいいという意味ではないからです。しかしそれは死ぬほどの事だったでしょうか。
 個人の創作には後ろ盾もありませんし,続けることで得られるものも満足感以外,根本的にはありません。だからこそトラブルが発生したら自衛以外何も出来ないし,つまらなくなったら辞めざるを得ません。繰り返しになりますが,個人クリエイターは弱弱しい存在なので,なだめすかして大事にしろと言っているわけではありません。そういう部分が完全にないことは少なからず否定できませんが。

 その点,金銭の力は絶対です。500円や1000円というほんのわずかな金銭の授受が,何千何万という言葉の代替となり,大きな意味を持つことが往々にしてあります。どんだけ文句を言われても,「でも1000円払ってくれたんだよな」と思うことで許せることが世の中には無限に存在します。
 長らく離れていたので忘れていましたが,フリーゲームというのは,その聖域を守ることに必死な人間が,拝金主義を批判するかのように,自らの不真面目を正当化する場所に等しい場になったと考えています。"フリーゲームだから"出来る表現なんて存在しません。彼らは自分の居場所が特別であって欲しいからああいう言葉を使うだけです。

 わけのわからん粘着質な行動を取ってくださった各々に恨み言を言いたい気持ちは山ほどありますが,しかしそんな事を言っても本人にはどうせ届かないことはわかりきっています。だからこれを公開することに本来意味などないのです。ただぼくが溜飲を下すことに全てが集約されている。愛されないゲームを作ったぼくが悪いのでしょうか。他人からの呪いによって忌み子にさせられてしまった作品を,ぼくは忌む必要が生まれてしまった。きっとそれで本望なのでしょう。そんな事を目的として活動している人がいる事に哀れみすら抱きます。

 ぼくらが10年何前くらいに危惧したセンシティブな話題として,インターネットは色々なものの距離を近づけすぎてしまったというものがあります。きちんとしたゲームを作るのに,どこにも公開しない人がその当時から結構いました。そんな話知らないという人もいるかもしれませんが,そりゃ公開してないんだから知る由もありません。理由はネットに公開すると心無い言葉をもらうのが怖いというものがほとんどでした。
 当時の無知なぼくらは「そういう批判も創作者なら受け止めなくてはならない部分なのでは」みたいなあいまいな感情を覚えていましたが,しかし彼らの恐怖は正しく,インターネットに公開すると,常に確率で意味不明な事を言われるリスクが付きまとう。意味不明な人に町の中で絡まれると結構怖くないですか? そういう感じに近いと思います。さらに運悪くターゲッティングされてしまったら何年もの間,無意味にバイタリティを削られてしまう。そんな中,創作をやっていける豪胆な人はほとんどいません。

 「こんなことになるならゲームなんて作らなきゃ良かった」なんて悲しい言葉を残しながらネットから消えて行く知人を何人見たでしょうか。ゲームを作っていたことをまるで消し去るべき過去の記憶のような言い方をする知人を何人見たでしょうか。ひん曲がった正義にはもう飽き飽きです。特に昨今はあまりにも便利な消費のための攻撃的スラングが無数に増えました。ナーバスな意味を持つ単語が最初から含まれているような目にするのもおぞましいスラングたちです。ハイコンテクストに彩られた意味を持たない文章でつむがれる言葉は後からいくらでも言い訳が出来るものばかりになりました。もう付き合っていられません。疲れました。

 ところで,全くの私事ですが,私は数年ほど前からゲームメーカーに勤務しています。これはささやかな努力が結実したものと言えると思います。それなりに忙殺される傍ら,空いた時間には趣味のゲーム製作を続けていました。それは別に「本当に作りたいものは個人の世界でしか作れない」みたいな世迷言を言うためではありません。ゲームをたくさん作りたいからです。ゲームを作るのが好きだからです。ゲームを通して表現したいからです。仕事でゲームを作ったら半年とか一年とかかかりますが,個人のゲーム製作はもっと早く,もっと細かい密度の部分で,もっとたくさんのゲームを作れます。

 ぼくは賢くなく,つくるゲームも長年誰にも見向きもされませんでした。今も大してその環境に違いはありません。ぼくより優れたクリエイターは無数にいるし,ぼくは完全に時代に乗り遅れたまま年だけ食ったオッサンです。すべてを否定できません。

 それでもゲームを作りたいから昼も夜もなく,公私なく出来ることを無限にやり続けるだけなのです。そうじゃなきゃ仕事でゲーム作りつつ,知り合いのゲームの制作を手伝いつつ,自分の趣味でゲーム作るなんてことやりますか? 四六時中ゲームのことしか考えられない,ゲーム以外に何のとりえもない人間だから,たとえ人より劣っていてもそのゲームという部分以外で戦う道を選べなかったんです。そしてそれがようやく,何とか人前に出られるレベルに結実した。その程度の努力のかたわら,趣味で作っているゲームもそこそこウケた。それに関してぼくがすべてのプレイヤーに対する責任まで負わなくてはならないのでしょうか? いったいぼくがあなたから何を奪いましたか? 命ですか?

 けれど悲しいかな,年を食うと色々なものが守りに入っていきます。体力の限界はコストばかりかかる作業を自然と忌避します。交友関係の広がりはトラブルを小さく防ぐ為に様々な事から身を引く必要が生まれます。肩書きの重さは行動の自覚を求められます。そういった事情が重なって,ぼくの個人制作はもはや限界に来ています。認めたくありませんが,あまりにもインターネットは息苦しい世界でした。ぼくにとって色々逆風も多いけどなんやかや楽しく感じられていたのは,ぼくがあの頃後先を考える必要がない存在だったからでしょう。かといって今身軽になれば何でもできるかというとそうでもないと思います。ぼくの今の創作は今の交流関係において生まれているからです。

 何度でも何度でも繰り返しますが,ぼくは本当に糞みたいな底辺クリエイターでした。今もそうです。SCE2こそまぁまぁ評価されましたが,こんなもんタダゲーだからたまたま当たっただけです。お金を払ってくれたり,10何年も芽が出ないぼくを追っかけてきてくれたユーザの方々には頭が上がりません。同じようなゲームは何十年も前からいくらでもありましたし,そもそもぼく自身がずっと同じようなゲームを作ってるのに見向きもされず,タダゲーで出した瞬間もみくちゃにされるのってかなり気分悪いと思いませんか? ぼくはなかなかです。

 たしか10年ほど前にもぼくは同じことを言ってインターネットを公開の場として選択するのをやめたように思えます。10年も経てば忘れるということでしょうか。それとも今一度インターネットを作品公開の場として信じたかったということでしょうか。どっちにしてもあいまいな真実は2018年のインターネットミームのように「どうとでも取れる」形に収束していくのです。悲しいことばかりですね。インターネットの使い方なんて究極的には個人ルールの押し付け合いですから,相手のルールにこっちのルールが準じてないと感じたときに相手が納得するまで攻撃し続けるかどうかというのは,まあ,それもルールなんでしょう。

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*追記 もう寝るのでコメントは個別に後ほど返信させていただくのですが,悲壮感漂う語り口のせいで終わる終わらないみたいな話に誤解させてしまいつくづく申し訳ないんですが,どちらかというと「困っている」という苦境そのものを伝えたいだけですので,多分そういう話とは違います。別に今後も気分にあわせて出す場を選んでいくだけです。

プリコネショック - 2018年02月25日

 かつてスクウェアはSFCやPSの頃にスクウェアショックとでも言うような業界のグラフィック要求レベルを一段階上げさせた行為があるらしいんですけど(消費者としては当時よくわかってなかった),今スマホゲーのプリンセスコネクトリダイブが本当にやばくて,こんなもん出されたら十人並みのスマホゲーがいくら口八丁でイキった所で,ハッタリによるブランドイメージの誤魔化しも全く効かなくてめちゃくちゃ厳しくないですか。

 スマホゲー,というかもうこのごろゲームって大体全体的に60点くらいのものを出し,半数以上くらいの人がなんとか遊べるみたいなものから始まり,それを徐々に手直ししてなんとなく皆が遊べるくらいにシフトしていく印象があったのですが,初動の時点でこんだけのコンテンツと,UI,UXの完成度でお出ししてくるのってカンベンしてほしい。
 「あーこれめっちゃ楽しい気がする」という多くのスマホゲーでも,脇の甘さというか,隙みたいなものがあって,われわれが全力で何かひとつに打ち込めば一点突破出来るという余地が感じられました。しかしプリコネはどうか。全部の箇所が90点↑くらいの出来でまとまっており,我々が一番得意分野に全力で打ち込んだところでプリコネの無数にある要素ひとつにでも肉薄することが出来るのでしょうか? これはインシデントです。われわれは危機感を抱かねばならない。これが勝つべくして勝つ,王者の貫禄なんでしょう。もはや芸術的ですらある。

 ひるがえってどうでしょうか。われわれはゲームの開発規模が増大するにつれ,パッチというものが,更新というものが,当たり前のように存在する世界にいつの間にか居座ることになってしまった。アプデで直している時点で弱い,というのは本質的ではありますが,現実的ではありませんでした。僕も5年10年前はパッチなんか出してんじゃねーよという気持ちでゲームを作っていましたが,最近はなんかどうでもよくなっていたりしています。
 けれど,目の前に顕現してしまった以上われわれは盗めるところは盗まなくてはならない。何よりこれが,高度な技術力というよりも,むしろ枯れた技術の水平思考で出来ている以上,同じレベルのものを作るのは決して無理ではない,というところが真の恐怖だと思います。

メタフィクション,あるいは第四の壁への呪詛 - 2018年02月19日

 今現在一般的にメタフィクションとか第四の壁とか呼ばれているものの多くはメタそのものの語義と大きく乖離があり,ミームですよね,というか,このミームという言葉自体がミームなんですが,どうでしょうか。こんにちは,前後不覚です。

 表題なんですけどぼくメタとか第四の壁みたいな言葉がもう本当に嫌いで,いや僕みたいな奴が何言ってるんだって言われると思うんですけど。もちろん僕は僕自身の作品には自覚的ですが,それはそれとして言いたいことってあるじゃないですか。
 このメタという言葉,出来れば使いたくないし,実際にまったく使わないようにしているいんですけど,そもそもメタフィクションなんて概念は本質的には存在しなくて,基本的にはあんなの我々が困った時に神頼みするのと同程度の意味しかなく,彼ら,彼女らの語りかけは全部,僕らが日常的に言う「ああ,神さま! 見ていてくだすっているのであればこんなに酷い目にあわせるのをやめてください!」ぐらいの意味でしかないんですよね。

 創作物って往々にして物語から見て都合がよい物語なので,究極で言ってしまえばフィクションとして顕在する物語の展開そのものすべてが物語をメタっている以上メタフィクションになるし,その逆を言い換えればあらゆるものは物語なのでただのフィクションになってしまう。ていうかもう自ら「この作品はメタ要素を含みます」とか言うのって馬鹿馬鹿しくないですか。この作品はフィクションです,って言ってるのと何も変わらんぞ。

 たとえば物語的な瞬間瞬間の切り出しが全部メタフィクショナルなものになるとして,われわれが困ったときに「われわれ以外の誰か」にアトランダムに救いを求めてみたり,人生に大きなドラマがあったときに運命や大いなる意思に対し物語的な感動を得ているのと大して違いはないですよね。
 僕らや,彼らの問いかけ,感謝,恨み節は,本当にわれわれに向けられている言葉なのでしょうか,偶然や不条理,数奇な巡り合わせに対してのひとりごちる言葉がどれだけの意味を持つというのでしょうか,決められたメッセージを決められた法則で繰り返すキャラが,まさかほんの1センテンスでも本当の自分に向けて言葉をつむいでいるとでも?

 だからなんかメタ表現がどうとかって言われるとうーんというか,メタって何なんすか? 本当にメタを理解しているんですか? みたいな所から入る必要があって,結局「われわれに向かって話しかけている体」をメタ表現だと呼称するしかないよねぐらいのあいまいな感じでみんな使ってるんじゃないかなと。ぼくも作品をメタ表現だと思って作っている気持ちはほとんどないので基本的に自分からはそういった表現を使ってません(もちろん,波及している一般的な表現として,パブリックな場で「メタ」という言葉を使うことは現在過去含めてあります)

 そもそも論をしてしまえば,ゲームって根本的にインタラクティブな娯楽じゃないですか。インタラクティブというのは双方向性があるという意味です。なので,操作しているわれわれのとおりにゲームの中の誰かが動いたり,あるいはゲームそのものが動いたりするというのは,それ自体がわれわれとの対話であり,彼らからの語りかけじゃないですか。そういう意味では,むしろ彼らのゲームキャラクターの普段の営みのほうが,よっぽどメタフィクショナルで,よっぽど僕らと深い深い部分で会話を繰り返しているわけです。

 都合の良い語りかけを順に削っていって,理路整然としたフィクションをベースに世界を切り抜いたときにそこにSFやロマンが生まれるからこそわれわれはメタフィクションという表現に没頭したんじゃないのでしょうか,メタってめちゃ表現としては気楽で,誰が使っても簡単に威力を発揮するお手軽な表現手法なのでみんなやるといいです。一山いくらのメタ表現をみんなが等しくブーム的に求めて消費する時点で,ゲームのもつインタラクティブは「わざわざ言葉にしないと伝わらなくなった」という形で無事その意味を終えて敗北してしまったので。

キョンシーズ2 - 2018年02月12日

 急な告知になり申し訳ないのですが,様々な人生,様々な生き方です。経緯や詳細はそのうち。誤解を招くとアレなんで一応言っておくとゲーム内にヤベエネタがあってヤベエ感じになったみたいな奴ではないです。


健康のためなら死んでもいい - 2018年02月01日

 最近健康診断の結果が怖くないですか。僕は怖いです。ごきげんよう,30代です。しかし30とか言っても20歳の頃と感覚的には何も変わらんというか,実際何も変わりませんね。この「何も変わっていない」という感覚がもっとも邪悪で,本人の中では何一つ変化がないのに周囲が完全に様変わりしていることに気付かないまま時代に完全に取り残されていて思わず目を覆うような古臭い失言をしてしまうわけですね。僕は怖いです。

 皆さんは最近何をしていますか。僕は何もしていません。何もしないことに疲れてしまいました。何もしないこととは意外と体力を消耗する割にお金は減っていきます。恐ろしいことです。一体どうすればいいのでしょうか。答え:何もできない。本質的に怪異の前で人は無力。

 さて本題です。毎日何もしないでいたら健康診断でE判定です。E判定とは何ですか? 高校の模試でシャレで東大理学部とか書いてもらえる奴だと思います。みなさんはE判定もらっていますか? とってもE麻雀ですか? E麻雀では人生つまらないのでA列車を目指していきます。以前は特茶大好き野郎だったのですがさらにお高い胡麻麦茶に手を出しました。胡麻麦茶といえば商品の名前を覚えるのが苦手な以前よしなにやっていたところの社長が愛飲していたドリンクですが,時代を越え僕が飲む日が来るとは思いませんでした。ひとえに楽して健康になりたいという気持ちの表れですね。さらにヨーグルトと低脂肪乳を毎日必ず飲食するようにしはじめました。もともと食事制限するのは好きなので突然はらぺこあおむしみたいな食生活になったところでそれほど違和感はないというか,どっちにしろ不可避の飲み会や接待如何は無限に沸いてくるので普段こそいもむしみたいな食習慣にするに限る。深弾幕結界〜夢幻泡沫〜これでトータルギリギリプラマイゼロくらいに持っていけるのではないでしょうか。冗談みたいな語り口ですが前回の健康診断に比べると見違えるようにあらゆる数値が改善しているのは事実なので方針は正しいんです。体重も1割くらい落ちたし。でも年を食うとトクホってワードに弱くなります。これも事実です。トクホそれ自体の効果もあるかもしれませんが,「普段飲んでるお茶の4倍くらい高いお茶を飲んでる」という自覚によって生活習慣が改められている部分も確実に存在します。これがプラセボですし,事実です。マスコミが隠蔽している都合の悪い事実をぼくたちが使っているインターネットだけで見ることができる。

無題.jpg
 しかし胡麻麦茶は結構高いので思わずこういう注意書きをしてしまう部分もある。人は本質的にお金の前には無力です。トクホおいしいからといって飲みすぎていませんか? 飲みすぎても一定以上の効果は得られないので高い麦茶を無意味に飲んでいるだけになるのではないでしょうか(詳しくないけどそういう認識でいいのではないでしょうか?)。健康は高い。健康を買うにはお金がかかります。そうして人は安い鶏肉や米で不健康を得てゆくのです。自炊はコスパがよい! と思っていましたが,自炊の設備を家から思い切って撤去したところ余計なものを食べる機会は確実に減りました。最近は野菜も高いのでカットサラダ買ったほうが安い。これは計算したことないのでわかりません。

思想に乗る,言葉に乗る,人に乗る - 2018年01月29日

 主張としては理解できる内容なのに,なぜか対立煽りを加えてしまったり突如発狂したりするので,その思想に乗った周りの人々が,人に乗ってしまったということで後でワリを食うという事態が多すぎませんか。そういう意味で思想が使い捨ての匿名掲示板や匿名日記は言葉にだけ乗る事が出来て便利だなと思います。発言に乗っかっていた瞬間は確実に真だったのに,後々その人がめっちゃやばい方向に舵を切り始めてなんか自分の立場まで危うくなるみたいなのありませんか。僕はあります。周りにもよくある。

 あと毎日体調不良が深刻にやばくなってきた。暑いときに暑いというと余計暑くなるからやめろみたいな話で毎日体調が悪いと思っていたら本当に具合悪くて最近朝起きれなくて凄いです。

動向をどうこうする - 2018年01月28日

 現在メロンブックスDLさんで販売中の【双葉の歌姫】【フォーインラブ】の二点について,2018年2月28日を持って販売終了を予定しています(現在メロンブックスDLさんの方でも販売ページの文章を変更する手続きなどを行っています)。
 その後半年〜1年くらい経ったら無償公開するつもりです。買いたい方は買ってくれたら嬉しいです。遊べれば良い方はもう少し待ってください。

 基本的に僕はある程度優良なファンの皆様から十全にお金を巻き上げ終わったら,後は無償で公開して皆さん勝手に楽しんでくださいね,とやりたい人です。しかし,パッケージとして流通しているものであれば,ある程度数が減ってきた+公開から日が経った時点で無償公開すれば良いものの,DL販売だと在庫も無限にあるしいつまででも買い続けられる以上そう簡単にもいかないので,とりあえずテストケースとして今回はこのようにやってみます。皆さん色々思う事はあるかとは思いますが,お付き合いください。

 販売版と無償公開版には何らかの差をつけるかもしれませんが,つけないかもしれません。買い煽りみたいなことはしたくないですし,数年前のゲームを弄ったりするのはひどく面倒なので。