クイズの答えを知っている事と選択肢の恐怖 - 2016年06月24日

 選択肢ってあるじゃないですか。ほとんどのゲームに何らかの択はあって,選択肢を持たないゲームとか,まあ,ほぼないじゃないですか。
 で,ゲームにおいて選択肢が提示された時,出来る限りすぐにその選択肢の意味を知りたいというのは自然な行為で,また選ばなかった選択肢に意味があるのかどうかを気にするというのも同じような感じです。

 択一を明示的に要求される物語の一回性は,それを気にしない人(僕のことではありません)が思っている以上にとても強靭な意志を要するもので,多くの健全なプレイヤー(僕のことです)は意味の公開を引き伸ばされる事に耐え切れません。
 大半のプレイヤー(僕のことです)は現在ゲームを遊ぶ時においてフラグというものを強い認識の下で運用します。行動の意味を無意識化で考え,説明されない取り返しの付かない行動に恐怖を覚えますし(それがたとえば,三叉路の分岐で片方が行き止まりかどうかを確認し忘れたまま進んでしまった程度でも),完全に見えてしまった結果に興味を失います。
 最初の一回は自分の思うがままに選択した結果を粛々と受け入れる,という事も,割かし結構な人(僕のことではありません)がそれが自然であるかのように行っているんですけど,選択した結果の介在を考えつつプレイしているのはあまり健全なプレーではないと言えます,先延ばしにされた選択の意味を出来るだけ考えないようにしつつ(あるいは,明確に覚悟しつつ)プレイしているだけじゃないですかね。

 選択肢はあった事を気付かせないくらいが丁度いいんじゃないという話です。たとえばクロノトリガーの裁判とか,「えっそんな事今更言う……?」みたいな,確かにそんな事あったけどお前今更文句言うとかクソかよ……っていう凄い美しい誘導が成立してるじゃないですか(あの作品の知名度が転じて些細な行動の結果を妙に気にする人が増えたとも言えますが)。後シュタゲの序盤で,これ言ったらネタバレで怒る人が言いそうなんで言いませんけど。とにかく一見一本道で遊んでるのに,後で見返した時に明確な欠落があったと気付かせるくらいが好ましいと思うんですけど僕は(一般論に拡大したい)。
 選択肢の存在をプレイヤーに突きつけつつ,またその結果を先延ばしにすると,プレイヤーはその選択の意味をずっと考えながら答えが出る瞬間まで散漫にゲームに付き合わなくてはいけなくなるので良くないんじゃないでしょうか。

 あと,選択肢の全てに意味を持たせるのも,客観的に描かれる物語が全ての表現になるために,主体性を持つ物語体験が霧消してしまうこと,体験の共有が出来なくなること,またあるタイミングでプレイヤーの目的と手段が逆転し選択することそれ自体がプレイになってしまう事などからあんまスマートじゃないかなと思いました。
この記事へのコメント
選択肢も1つの演出技法で、色々やり方ありますよね。
ひぐらし原作とか最終話付近まで全く選択肢なかったですけど、もしあったら惨劇がプレイヤーの選択の責任みたいに感じられてやな感じです。なくてよかった。

あと最近だと四人の王国がやたら選択肢に力入れてたゲームな気がしますけど、モス―さんやりましたか?
Posted by at 2016年06月24日


 ゲームは全然遊ばないので,詳しくありません。
Posted by モスー at 2016年06月24日


引き受けないと物語が進まない選択肢で断った時に無限ループするパターン嫌いだけどゲームオーバーになるパターンも嫌い
Posted by at 2016年06月25日


 ゲームオーバーになるパターンめっちゃ少ない!
 ああいう結果が固定された選択肢ってどういう効果があるんでしょうね(よくわからない)
Posted by モスー at 2016年06月26日


 今思い出したんですけど,もともとゲームオーバーって単純にゲームの終わりを示唆する言葉でしかなかったので,そういう意味で考えるとゲーム終わっちゃってるからあながち間違いでもないよなみたいな気持ちになりました(完全に言葉遊びの領分で,だからなんだよって話なんですけど)
Posted by モスー at 2016年06月26日


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